
❖ はじめに
「なんのために生まれて なにをして生きるのか?」
これは、今、NHKの朝ドラで放送されている「あんぱん」のモデルのやなせたかしさんが作詞した「アンパンマンのマーチの」1番にでてくる歌詞です。と、同時に、わたしがキャリア支援に関わるようになってから、何度も向き合ってきた問いです。
キャリアコンサルタントの資格を取得し、プロボノ活動にも関わる中で、“社会との自然なつながり”を探してきたわたしですが、この問いには、今もまだ明確な答えが出ているわけではありません。
だけど最近、思うのです。
答えがないことこそ、大切にしていいのではないか。
そう気づくまでの、小さなストーリーをここに綴ってみます。
※今回の朝ドラ「あんぱん」については、一部のドラマウォッチャーからは厳しいコメントもいろいろあるようですが、朝田家三姉妹がかわいいので、毎朝楽しみに見ています(笑)

❖ 「成果でキャリアを語る」ことに慣れていた
わたしは、会社員時代に人事・経営企画・マネジメントなどを経験し、いわゆる「成果」や「役割」でキャリアを重ねてきました。
他人より成果を出すこと。
組織の中で評価されること。
それがキャリアだと、どこかで信じ込んでいたんだと思います。だからこそ、「誰に、何のために貢献するのか?」と問われたとき、正直、戸惑いました。
**そんな問いに答えて、何になるのか?**と

❖ ミッションメンタリング®との出会い
60歳を過ぎ、キャリアコンサルタントとして新たな道を歩き始めたわたしは、新たにミッションメンタリング®という学びに出会いました。
そこでは、「自分軸を育てる」「人生のミッションを探究する」といった、これまでの“キャリア論”とは少し異なる観点から、自分自身を見つめ直すことになります。
正直、最初は違和感もありました。自分の中に“貢献”のモチベーションが育っている実感が、あまりなかったのです。
ミッションメンタリング®の実践や、プロボノ活動での対話の中で、わたしは少しずつ“変化”を感じるようになりました。
誰かが困っているとき、自分の経験が、ふと誰かの役に立てるかもしれないと感じる瞬間。
誰かの挑戦を応援したいと思ったとき、胸の中に小さく灯る、“動きたい”という衝動。
これらは、どれも理屈ではなく「感覚」でした。

❖ アンパンマンのマーチが教えてくれたこと
♪ なんのために生まれて なにをして生きるのか
♪こたえられないなんて そんなのはいやだ!
♪なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
♪わからないままおわる そんなのはいやだ!
これは、冒頭のやなせたかしさん作詞の「アンパンマンのマーチ」の1番と2番の最初の一節です。
大人になってこの歌詞をあらためて聴いたとき、わたしはふと、自分の問いに重なるものを感じました。
ミッションとは何か。
誰かの役に立つとは、どういうことか。やなせさんは晩年、こう語っています。
「正義とは、“飢えた人にパンを与えること”」
それは、“顔をちぎって分け与える”ような犠牲ではなく、「自分の中にある余裕を誰かに届ける」という行為。
そういう意味で、ミッションもまた、自分を整えることから始まるのかもしれません。

❖ 「問い」を持ち続けている自分を信じてみる
わたしは今も、「誰に、何のために貢献するのか?」という問いに、確かな答えは持っていません。
だけど、問い続けていることで、人との関わり方が変わってきた気がします。
● 人と比べていた自分が、少し手放せた
● “支える”ということの意味が、少し実感としてわかってきた
● 自分が自然体でいるときの方が、誰かとちゃんと向き合える
そんな気づきが、日々の対話の中に増えてきました。
そういう意味で、ミッションメンタリング®もまた、自分を整えることから始まるのかもしれません。

❖ おわりに
今、わたしは「キャリア × プロボノ=キャリボノ」というテーマで活動を始めようとしています。
社会の中で、何かをしたいけれど一歩が踏み出せない人
ボランティアに興味はあるけれど、自分の役割が見えない人
そんな方々と、問いを分かち合いながら一緒に歩んでいけたらと願っています。
「答えのある人生」よりも、「問い続ける人生」のほうがわたしは好きです。
やなせさんがアンパンマンのマーチの歌詞を書いたのが69歳の時。わたしもその年齢に近くなってきた今、キャリアの終盤に立ってあらためて思います。
自分が変わることで、世界の見え方も変わるのだと。
自分が変わることに年齢は関係ありません。いくつになっても変わることは出来ると思います。
よかったら、あなたも「問い」を持ち続けながら、一緒に歩いていきませんか?!
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