❖ 昔の資料を整理していたら
机の周りと本棚がごちゃごちゃしてきたので、久しぶりに整理をしていた。
すると本棚の奥から、とても懐かしい資料が出てきた。
1987年4月に発行された、社内誌「ピープル オン・エアー」だ。今から40年近く前、私が30歳の頃のものだった(写真を見ると、やっぱり若い:笑)。
当時、私は京都のスポーツクラブの支配人から東京の本社人事部に異動し、全社横断のプロジェクト活動に関わっていた。
❖ 1987年、日本は転換点にあった
1987年といえば、
- バブル景気の本格化
- 国鉄の分割民営化(JR誕生)
- ブラックマンデーによる世界的株価暴落
など、日本社会が大きく揺れ動いていた時代だ。
バブル景気の高揚感は、企業や個人に「大きな成長」を無条件に信じさせていた。一方で、ブラックマンデーの衝撃は、いつ崩れるかわからない「不確実性」を露呈した時代でもあった。
当時は会社も上場を目指し、勢いがあり、「怖いものなし」で拡大を続けていた。
そんな中で立ち上がったのが、MS(マネジメント・システム)委員会だった。
社長直轄で組成されたこの委員会は、売り手起点から、顧客起点の経営へ組織や仕組みを再構築するという、今振り返るとかなり先進的なテーマを掲げていた。
❖ 店要員構造改革チームという仕事
MS(マネジメント・システム)委員会の紹介記事の冒頭には、「今、時代は大きく変わろうとしている。川上である売手が商品をつくり売る時代から、川下であるお客様のニーズが売手に伝わって、そこから商品が生まれるという川下経営の時代へと大転換している。MS(マネジメント・システム)委員会は、この流れを正しくとらえて、会社がお客様思考でシステムの再構築をはかろうというものである。」とある。
私はその中で、「店要員構造改革チーム」の担当委員(ヘッド)を務めていた。
チームの目的はシンプルで、
- 店舗業務を整理し
- 人材の能力を構造化し
- 教育と評価の仕組みに落とす
というものだった。
それぞれの必要な 能力を、
- 理念実践能力
- ヒューマンスキル
- 知識力
- 実技能力
- マネジメント能力
- 特別教育(語学・OA)
といった要素に分け、レベル1〜5で整理し、教育プログラムへ落とし込んでいった。
❖ 今思えば「タイニーチーム」だった
最近、斉藤徹さんの『そして僕たちは、組織を進化させていく』を読み進める中で、書かれている「タイニーチーム」という考え方に触れた。
そのとき、ふと腑に落ちた。
あれは、まさにタイニーチームだったのではないか。
人数は多くなかったが、
- 組織横断で集められ
- 明確な問いを持ち
- 現場に裁量が委ねられ
- 試行錯誤が許されていた
何より大きかったのは、
制度やフレーム以前に、安心して本音を出せる空気感=心理的安全性が当たり前の前提としてあったことだと思う。
※タイニーチーム:少人数・自律性・学習反復・目的共有によって成果を創発するチームのこと
※心理的安全性:自分の意見や気持ちを安心して表現できる状態
❖ 若さとエネルギーという、もう一つの要件
加えて、メンバーはみんな若かった。
若さゆえのエネルギーと、「やってみよう」「やりきろう」という勢いが重なり、時間を忘れて議論し、実際に試すことができた。
当時は、「日本一」や「世界一」といった言葉を、誰もが本気で信じていた。自分たちが現場を支えているという自覚とプライドもあった。もちろん、それが衝突を生むこともあったけれど(笑)。
❖ 過去を懐かしむためではなく
もちろん、今の社会や組織環境は当時とはまったく違う。同じことがそのまま通用するとは思っていない。
ただ、
- 心理的安全性
- 明確な問い
- 自律的な小さなチーム
- 学習と実験が許される場
こうした要素は、時代が変わっても、組織が生き生きと動くための本質なのかもしれない。
“小さな単位で学習する仕組み”や“現場の裁量が評価される文化”といったテーマは、AI時代の組織論書でもよく触れられている。
昔の資料を懐古趣味的に眺めるだけでなく、「今に活かせるものは何か」を考える。それもまた、過去の経験と向き合う意味なのだと思う。
❖ おわりに
言葉が生まれる前に、僕たちはそれをやっていたのかもしれない。そんな感覚を、 40年前の資料が思い出させてくれた。

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